広報のやち。です。
20年間アートディレクター・デザイナーとして広告に携わるうえで、写真を撮る方と一緒に作品を作り上げることは、最高に楽しいことです。案件に応じて、様々な写真家・フォトグラファー・カメラマンと接すると、その人がどう生き、人とどう接してきたのか、全て写真に投影されていると感じています。
人が好きなカメラマンは豊かな表情を切り取り、グルメなカメラマンはしずる感を追求した美味しい写真を。そして、商品写真を撮ることが得意なカメラマンは商品のディテールを追求します。
写真はコマーシャルフォト、アート、報道、コミュニケーション、切り口によって捉え方はかわりますが、ビジュアルで訴えかけることは、国や時空を超えていきます。言葉はいりません。
フォトセラの点と線
あらゆるシーンで活用できる「フォトセラ」は一人のカメラマンが始めたサービスです。そこが最大の魅力だと考えています。その開発に関わるキーパーソンは8人。フォトグラファー、システムエンジニア、クリエイティブディレクター、映像クリエイターとそれぞれ専門分野が違います。
プロフェッショナルな技術を持つ方々が集まれば、皆さまのお役に立つアイデアが次々と出てまいります。これからフォトセラに秘められた開発秘話を4回にわたってインタビュー形式でご紹介します。
「人」を主役として撮ることをサービスにしたクリエイターたちの想いを感じてください。
連載 第一弾
なぜ今、「ライブフォトエンターテイメント」なのか?
STORY #01:すべては、地元商店街でのイベント撮影からはじまった
クロマキー撮影用のグリーンバックの前に立ち、「こんなポーズにしてみましょうか!」という笑顔のカメラマンにうながされて、ちょっといつもとは違うポージングをすることほんの一瞬。「はい、OKです!」と声をかけられてからは、わずか30秒。あっという間に写真がプリントされ、手渡される。
楽しいデザインと合成されたいつもとは違う写真の仕上がりをみて、撮影された本人も思わず笑顔にーー。
「フォトセラ」のサービスは、一体どのように生まれたのか。そしてこれから、何を目指していくのか。なぜ今、“ライブフォトエンターテイメント”なのか?
サービスを開発した中心メンバーに、その想いを聞いた。
吉永 喜淵(株式会社シエンアート 代表/フォトグラファー)
16歳からフィルム一眼レフカメラと出会う。高校と専門学校でデザインを学び、都内広告写真スタジオに就職。2011年4月株式会社シエンアート設立。
スマホで誰でも写真が撮れる時代。
しかし、それは「記憶」に残っているか?
—— 「フォトセラ」のサービスを一見すると、もしかすると中には「なぜ今の時代、あえて手間のかかるアナログな写真撮影サービスを提供するのか」と思われる方もいるかもしれません。
吉永 確かに今は、スマホや安価なデジタルカメラが普及しており、誰でも簡単に写真を撮ることができる時代。ゲームコーナーに足を運べば、背景と自分たちの写真をバリエーション豊かに加工・合成できるプリクラもありますしね。
—— そんな中、あえて「プロのカメラマンによる写真撮影とプリントの手渡し」というスタイルにこだわっているのはなぜですか?
吉永 私は逆に、みなさんに聞いてみたいんです。いつでも手軽にスマホで撮っている大量の写真。それらは本当に“記憶”に残っているでしょうか?
—— 確かに、大半の写真は撮影したきり、そのまま忘れ去ってしまうことが多いかもしれません。機種変更をしたら消えてしまったりして……。
吉永 そうですよね。私は、写真とは“記憶”だと思っています。
手軽に撮影する写真もいいですが、「楽しい体験」がセットになると、より記憶に残りますよね。それがカタチとして手元にあれば、家族や友人たちと「あの時は楽しかったね!」と振り返ることもできます。
「フォトセラ」のサービスが提供するのは、撮影した写真だけではありません。プロのカメラマンによる撮影、そのとき参加したイベントに関連するさまざまな背景デザイン、手渡される写真プリントという3つの「楽しい体験」なんです。
大切な家族・友人との思い出を残してほしい。
震災をきっかけにはじめた家族写真の撮影会
—— これまで吉永さんは、商業カメラマンとして、主にコマーシャルフォトなどを手がけてきたそうですね。なぜ「フォトセラ」を発案し、自分たちのサービスとして育てようと思うようになったのでしょうか。
吉永 その原点となった活動は、私が2011年9月に地元(中野区鷺宮)ではじめた家族写真の撮影会です。
実は、私が会社を立ち上げたのは2011年4月のこと。そのわずか1ヶ月前に東日本大震災が発生したばかりで……あまりにも衝撃的なできごとに、とても心を痛めていました。
—— そうだったんですね。
吉永 家族の命、そして自宅や家財など一切を失ってしまった方々が、たくさんいました。失われたものの中には、大切な写真もあったと思います。一部では、写真の修復サービスを提供する企業もありましたよね。
自分にそこまでの力はないけれど、カメラマンとして何ができるかを考えたんです。それは、記憶に残る、家族の思い出となる写真を残すこと。そこで地元の神社にお願いして場所を借りて写真館風に仕立て、無料で撮影会を開くことにしました。
—— ちなみに、この撮影会のときから「その場で写真プリントを手渡す」ことにこだわっていたんですか?
吉永 そうです。それは最初からずっと変わりません。もちろんデータもあった方がいいのですが、やはり手元にプリントが残ることに意味があると思っているんです。何十年も残せるものですから。
—— そしてこの撮影会を、地元でずっと開催しているんですね。
吉永 はい。年に1度の無料撮影会は地域の恒例イベントとなり、回を重ねるごとに、参加者もどんどん増えていきました。2018年3月に開催した第7回では、2日間で199組(約580名)の方が参加してくれるまでになりました。
—— 580人はすごいですね! 地道な活動が実を結んでいったんですね。
「イベント参加者の方に喜んでもらいたい」。
発案した写真合成のアイデアに手ごたえを感じる
—— 撮影会を開催するようになってから、変化はありましたか?
吉永 地域の人たちとも交流が生まれるようになりました。そのご縁がつながり、2013年11月に、商店街で開催される子ども向けイベントの撮影依頼が舞い込んだんです。
—— 新しい展開ですね。
吉永 はい。子どもたちが参加するウォークラリーの企画があって、ゴールで記念写真を撮ると同時に、何かお客さんに喜んでもらえる仕掛けができないか、と。そこでただ写真を撮るのではなく、ちょっとしたフォトフレームと合成することを提案したんです。
—— なるほど。
吉永 とはいえ当時はまだ、今の「フォトセラ」のような仕組みもなく、既存の画像加工ソフトを使い、一つひとつ手作業で写真とデザインを合成していました。このちょっとした工夫が、地域のみなさんから想像以上に喜んでいただけて。
—— 確かに「参加者の方が喜んでくれる」ということは、主催した側にとっても大きなプラスになることですよね。
吉永 主催者にも貢献できて、実際に利用したお客さんにも喜んでもらえる。これは、サービスとして可能性があるのではないかと思ったんです。イベントから1ヶ月後には、早速クロマキー合成用のシステムを導入していました(笑)。
記念に運営スタッフを撮影
このシステムが後の「フォトセラ」の原型となり、わずか数名の仲間と、さまざまな試行錯誤を重ねていくことになりました。
(STORY #02へ続く)